2015/06/10

忘備録など

四月から大学院生として研究をしているが、去年に引き続き研究の時にググってもなかなかヒットしない情報というものに悩まされてきた
研究に関する内容でコアな部分ではなく、例えば「◯◯をしたいけどそれをやってくれるソフトがあるか」、「◯◯というソフトの使い方/もっと便利な使い方はないだろうか」というような事について、調べた時には使えるのだが時間が経ってもう一度やりたい時にノートから発掘しても文字が恐ろしいほど汚く解読が困難な事もある
そういった、ググればわかるはずなのになかなかヒットしない、汎用性の高く便利な情報について手書きのノートではなくPCのメモにまとめる事にした
研究についてコアな、考えるまでもなく外に漏らしてはならぬだろう事柄については研究室からの持ち出しは研究室から持ち出すデバイスに保存しないようにはしている

そんな事柄について、当たり障りのない程度にツールのマニュアルやそれを組み合わせたスクリプトについて今後こちらを使ってまとめていく事を考えている
たとえば「あるソフトの出力結果(標準出力)をファイルとして保存せずにそのまま次のソフトの入力に使うなら"|"と"-"を用いる事が出来る」といった内容である。
バイオインフォマティクスの世界でよく使われるソフトの一つに"samtools"という物がある
これを例にすると
"samtools view -bS hoge.sam | samtools sort -Obam -T tmp - sorted"
と書くだけでsam形式のファイルをbam形式(バイナリファイル)にしてかつソートしてファイルの容量を小さくしてくれるのだ
実際にsamtoolsのsortがどういった挙動をしているかは別として、その後の流れではソート済みのファイルでないと食べてくれない事が多いため、sortを行う事が多く、viewでバイナリ化して更にソートしてと無駄なファイルを作成してストレージを圧迫せずにすむ
最近見つけてちょっと嬉しくなったノウハウの一つを書き残してみる
この様にちょっと見つけて嬉しくなったやり方があったら忘備録として書き残す事を考えている

最近は忙しく、月に一度も記事を投稿できていないので、もうちょっと頻繁に投稿するためにもこんな内容を増やして見ようかなと思う次第にございます

2015/05/17

将来について等

この間同期と話していた時の事
「高校の頃は大学受験がゴールだと思って勉強をしてて、大学入ったものの課題に追われて院では就活がゴールって雰囲気で過ごしてるじゃん?実際就職したらまたゴール見つけることになるのかな?」
という発言が出てきた
実際はゴールじゃなくてチェックポイントではないか、と話した所
第一段階: 高校(中学受験)
第二段階: 大学受験
(第二.五段階: 院試)
第三段階: 就活
が現状見えている、クリアせねばならぬチェックポイントであろうと挙げられた
そして
第四段階: 結婚
第五段階: 転職
第六段階: 退職
をこれから越えねばならぬだろうチェックポイントに挙げてみた

"ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる"
ソクラテスの名言にもあるように配偶者選びは人生において受験、就職と並んで重要なチェックポイントかもしれない
クサンチッペが悪妻だったというのは有名な話であるが、旦那の方がひど過ぎてそれに対抗した結果悪妻として描かれる説もあったりする事をかんがみると、配偶者選びがうまく行かないとその後の人生の豊かさに影響が少なからずでるだろう

転職/退職について
終身雇用が当たり前ではなくなり、その企業で骨を埋めるといった考えを持つことが難しくなっている
入社時は超一流企業であっても、十年後には資本金が激減したり買収されてリストラに怯えていたり
新卒カードを切って就職した後、ある程度仕事をしたら転職を視野に入れる必要があるだろうと考えている
いい企業に就職できた事に胡坐をかき、転職を視野に入れず年を重ねると後で痛い目を見るかもしれない
また、定年退職まで同じ職場で過ごす事が出来たとしても、仕事一筋で趣味も職場以外の人間関係もなくといった状況で退職をした場合、一気にボケが進むという説がある
そうした時に結婚をしていないと孤独死コースまっしぐら、寒い時期に死んだら何か月も躯が放置されるかもしれないのだ(結婚をしていてもうまく行っていなければ同様だが)

ただでさえ時間の流れが速いと感じており、それについて行くので精一杯なのに、将来の事をもっと真剣に考えねばならないのだ
身の丈にあう生活を送ろうにも、中学/高校受験以来ずっと競争の中に身を置いて生きているため、身の丈にあった生活を求めて競争から降りる=競争に負けた惨めな奴、と少なからず感じてしまう
大学受験で自分の能力をはるかに超えるやつらを目の当たりにしてなおそういった価値観に縛られている

そんな話をしつつ、男子高や理系に身を長く置いているため女と関わる機会が少なすぎ女に対する興味がだんだんと薄れてきている事にお互い気付く
気の合う男同士で将来シェアハウス/アパート建てて相互扶助で生きて行けたら楽しいだろうなぁって話をしてその場は収まった
家に帰って誰もいない寂しさを結婚で埋めるのではなく、異性ではなく慣れ親しんだ同性で埋めるためのシェアハウスの様な相互扶助、最高じゃなかろうか
結婚のリスクとトレードオフできる程寂しさを埋めたい感情が大きい場合はこの限りではないと思うが

将来についてもっとちゃんと考えねばだ

2015/04/23

季節の変わり目と

先月末からずっと下痢と熱に悩まされ続けてきました
ある程度体調がよくなり、病院に行ったらカンピロバクターとのこと
表面あぶっただけの鶏肉が原因かなぁなどと思いつつやっとこさ体調がよくなってきました
カンピロバクター以外にも色々と体調を崩しやすく春だなぁと思うのです

カンピロバクターをお腹の中で飼っていて思った事など
今回患ったのは普段処方されている抗生物質五種全部が有効だったとのこと
比較的弱い菌だったのに感染するという事は免疫が弱ってきていたのだろう
一人暮らしで三十九度近くまで熱が出ると救急車を呼んでもいいのではなかろうかとか考え始める程度には全身痛いし医師に掛かろうにも意識も朦朧としていて身体もだるくて動かせなくて。
そういう時にお使い頼める友人が近所にいるときっと心細くないんだろうなって思う二十代半ばの春
友達か……

近年畜産業界において、一部の国や地域では鳥や豚などの餌に抗生物質を混ぜる事で病気の予防や集団感染の回避を行っているという噂を小耳にはさんだ
畜舎に病原が紛れ込んでも感染初期から抗生物質を投与されている事と変わらないから感染は拡大せずに済む
それに加えて、大量に感染すると家畜の処分や畜舎の消毒など費用が掛かる上に出荷する分が無駄になって大赤字になるからだろう
そういった行為に異を唱える論の中には「抗生物質漬けの肉を食べたくない」といった主張があったように思う
商流に乗っているとはいえ、食卓に並ばずに埋められる事になる動物たちの事を考えると抗生物質漬けにしても安定供給を目指す生産者たちの行為について今まで特に深く考えることなく否定的な意見を持つことは無かった

しかしながら、今回自分がカンピロバクターを患ってみて少し真面目に考えてみたのだ
今回の場合だと普段処方されている抗生物質五種どれでも有効な菌種だったから治療の方針は比較的簡単に定まった
例えば、畜舎の中で抗生物質耐性を持っている菌が蔓延っていたなら、と考えてみた
つまり抗生物質耐性株が畜舎で生まれ、食卓まで持ち込まれたら、と
しっかりと肉を加熱していれば問題ないが、近年の生食ブームに感化されて抗生物質耐性株を取り込んでしまい、発症してしまったら
病院で検査してもらい、カンピロバクター性の食中毒だという所までわかっても、今回の菌に有効な抗生物質を処方する事が出来ないと言われてしまった場合、あの下痢や高熱がずっと続くのだ
一週間程度で菌が身体から排出されるようになっているとはいえ、その間は下痢止めを服用する事も出来ず、食事もすぐに下痢になり、飲み物も喉を過ぎれば下痢の原因になる
それが一週間は続くのだ
考えただけでも恐ろしい

畜産業で抗生物質を餌に混ぜる事への意見は色々あると思う
安定供給を目指すための努力だとして今まで深く考えなかったが、今回の事がきっかけで少し真面目に考える事に
生命系の事を学び齧った身としては、突然変異で抗生物質耐性を持った病原菌やウィルスが蔓延る施設に畜舎が入るというのは少し怖い様に思えてくる
肉に残留した抗生物質の影響で我々の身体の中で抗生物質耐性株が生まれる可能性も否定できないようにも思える
しっかりと過熱をする事で抗生物質を破壊し、病原菌まで殺菌(消毒?) して食事を取る、或いは抗生物質をえさに混ぜたりしていないと主張する産地や業者の肉を選んで摂取するといった対策はできる
安い肉を美味しく食べるには香辛料を沢山使わねばならぬように、安く肉を提供するには抗生物質をまぶす他ないのだろうか
設備投資で無菌家畜を清算するにもコストを値段に反映させたら肉を安く食べる事はできなくなりそうだ
個人的に、少し抗生物質を餌に混ぜて育てられていそうな肉を食べる事は控えようかな、と思った出来事でした

2015/03/19

人としゃべる

コミュ障やコミュ力という言葉を回りで使う人が増えて以来ずっとこの言葉に追い掛け回されてきた
どこに行っても誰と話してもこの言葉が自分を追い掛け回す
前の投稿でも書いたが、この言葉自体はバズワードだと思えど逃れる事が出来ずにいる
流行の単語で各々が各々の定義で使いだす事もあって余計こんがらがる
相手に与える不快感がある閾値を超えなければコミュ障ではないのではなかろうか
逆に与えられた不快感を許容できない人間こそがコミュ障ではなかろうか
円滑に人と意思疎通ができない責任を他人に求め自己弁護を始める事は愚かだ
愚かな考えを外に吐き出したくなる程にこの言葉は僕を縛って逃れられない

人としゃべる、というとその集団の中で意味を持った音を自分の口から相手の耳に届ける事を交互に行うやりとりを指すのだと思う
手話や読唇といった視覚に頼る方法はひとまず置いておく
口から音を出す過程で、意図した音を出せない事が起こりうる
例えば吃音と呼ばれたり、「噛む」或いはアルコール摂取などで呂律が回らない時などを考える
こういった時の周りの反応として、笑いが起きる事が多く感じる
テレビなどで人を笑わせる人たちが間をつなぐためにそうやってカバーしている事を真似しているのだと考えている
そういって笑いに換えられたことによって音を出した人間がその場は乗り気っても後々になって"笑われた"事を恐れ音を出す事に及び腰になり、緊張した状態で音を出すことになりまた同様に意図した音を出せずにといった負の連鎖は何度も見てきた
笑わせるのが仕事の人の真似をして人を笑いものにする事でコミュ障と呼ばれる人間が増えると考えると皮肉たっぷりだ
安易にメタい事をしてはいけない。そんな感じ
プロ意識を持たずメリハリをつけずに舞台に立ち、自分一人ではどうにもならないからと客席の人間や舞台裏の人間等舞台にいない人間の話題をだすと、観客は目新しい情報だから興味を持って注目をしてくれる。
それを繰り返す事で悪循環に
物語で登場人物が作者に文句を言ったり、幕間で登場人物たちに寸劇をやらせるなどといったメタい事をやるネット小説なんかが寒いと言われているのにも関わらず。

話が逸れた
人としゃべるといった行為は
・お互いに意味があると思っている音(言葉)を用いる
・自分が発し相手に伝える
・相手が発し自分に伝える
といった三要素からなっているんだと思う
一部の選民意識からくる、少数からなる集団にのみ通じる言葉を理解できるはずがない相手に対し用い、理解できない相手を蔑むといった行為はコミュ障の極みに違いない
相手に理解されにくい隠語として用いているのなら話は別だが(有名どころだとアンパンやチョコの様に
意図した音が出せなかったときに相手を"いじる"事で笑いを生むことが好きでも、自分が"いじられる"事で笑いが起きる事が許せない人間は意外と多い
相手と自分との間に差を設けているから、つまり選民意識に由来するのではないか
プライドの使い所がそんなちんけな所でいいのか、とも思うけれど彼らの世界ではそのちっぽけなプライドを維持できない事が堪えられないのかもしれない
そういった人達の選民意識やプライドを刺激し過ぎぬように生きて行く人達こそコミュ力があるんだろうなぁと

ルサンチマンにまみれとりとめのない文章
途中で考えが脱線してしまった……。
一年弱人とのかかわりを断っていた経験を元にするなら
・人としゃべらないと人とのかかわり方を忘れる
・コンビニ等で声が出せなくなるのは本当に起こりうる
・人とのかかわり方を忘れて、無理して相手に合せているとその内疲れて何もかもが嫌になって折角できた話し相手すら疎遠になる
はい。
人と話す事って大事なんすよ、ほんと。
何気ない話に付き合ってくれて、一緒にいて気を使う必要のない相手が居たらそれは本当に大事にした方がいいんだと思います
友達かぁ……

2015/02/27

アニメの相同性

撮り溜めていたアニメを少しずつ消化している時にふと「このアニメ、あのアニメと似てる」と感じることがたまにある。
最近でいうと、「龍 ヶ嬢七々々の埋蔵金」を見ていて俺妹と似ているなぁといった感じで。
記憶の中では俺妹はAIC制作でかんざきひろがキャラデザだったはずで、ノイタミナ枠でA1-Picturesが作っている龍ヶ嬢(ryとすごい似ていることが不思議に思えて色々調べてみたところ、
俺妹で総作画監督をしていた川上哲也氏がキャラデザを担当し、俺妹は二期から制作がA1に変わっていたらしい。

こういったことをもっと簡単に調べることができたら便利なのに、と。
例えばゲノム配列の相同性を比較するNCBIのBLASTといったプログラムのように、データベースを背後に持つアニメの相同性を検索するプログラムやサイトがあったら便利にちがいない。
BLASTはそもそも四ないし五種類の文字からなる大量の文字列同士の相同性を比較するプログラムである。
アニメの相同性を比較するにはどういった比較法を採用すべきだろうか。

例えば制作会社
アニメの制作会社には各々色がある。
京都アニメーションやシャフトなどは比較的容易に制作会社を見分けることができるとされている。
例えば監督
シャフトの新房監督や秒速5センチメートルで知られる新海誠、ジブリの宮崎駿などは比較的名前が知られているだろう。
例えば作画
キャラデザについては、先ほど例に挙げたかんざきひろや白身魚名義でも知られる堀口悠紀子、そしてぽよよんろっく先生とは無関係の渡辺明夫 などは比較的知られているように思う。
こういった要素で比較することである程度似ているアニメを調べることができるのではなかろうか。

天元突破グレンラガンの時にガイナックスに所属していたスタッフを集めて作られたキルラキルの制作会社トリガー
あるいはタツノコプロ制作のヤッターマンでビックリドックリメカのデザインを担当していた大河原邦夫氏はタツノコプロの時からおもちゃ化をした時の事を考えてデザインを考えていた。彼は後にメカニックデザインでガンダムを始めとする様々なロボットアニメで活躍されている。
このように比較に時系列/師弟関係などを含めることで相同性検索においてより便利になるのではないかと考えている。

NCBIのBLASTとは異なり、私には背後にデータベースが存在しない。
NCBIは世界中の生命系の研究者が用い、日々更新している。
アニメのスタッフをまとめたデータベースがあるのなら、そこを利用させてもらうことで相同性を調べることも容易になろう。
時系列なども含めて相同性の値を出す際のパラメータを定める事を考えるととても複雑で困難なアイデアではあるが、もしも実現できたら好みのアニメを入力することで好きそうなアニメの候補を出力したり、複数の好きなアニメを入力することで自分の好きなアニメの傾向を出すなどいろいろな応用ができ、とても便利なんじゃないかなぁと、そう思ったのです。

2015/02/03

固定ではなく消費するタイプのパラメータ

コミュ力という単語は大学に入ってから嫌と言う程耳にしてきた。
文脈から判断するに、このパラメータはRPGで言う所の筋力や知力といった"パラメータ"の一つとして使われる機会が多い様である。
或いは「コミュニケーションを取るにあたり必要とされる能力」という意味合いで使われ自転車に乗ったり読み書き算盤の様な"スキル"の一つとして使われる事も多い。
なにやらバズワードの様に思えてくる。

そのコミュ力についてふと思う所。
この単語が指す物は固定パラメータではなく、消費するタイプのパラメータなのではないか、と。
人と接する度にコミュ力というパラメータを消費して行動をしていると考えてみる。

このパラメータは更に三つに要素を分ける事が出来る。
・最大値
・単位時間当たりの回復量
・アクション毎の消費量
更にこれらの値は個々人によって異なる。
コンビニで店員さんに「お弁当温めてください。お箸は一膳お願いします」と伝えるだけで最大値の八割を持って行かれ、三日は回復しない程度に回復量が低い燃費の悪い人間。
見知らぬ街にふらりと出かけ、地元の方に話しかけその地の名所や美味しい食べ物の情報を得る休日を過ごした後平日は不特定多数の人間と関わる様な環境にいても一切コミュ力が枯渇する様子が感じられない人間。
両極端な例ではあるが、この三要素によって説明できると考えている。

これらの要素は環境要因によって成長度合いが異なる。
いわゆる人見知りな子供で、そのまま大人になっても不自由が無かった場合はアクション毎の消費量はそれほど変化がしないであろう。
盆と正月は親戚で顔を合わせる様な家に生まれたり、近所付き合いの豊富な環境で過ごして来ればほぼどの値もそれなりに成長するであろう。
最大値が高いが残り二つが低い場合が一番悲惨で、耐久力があるが一度底をつくと回復までに時間がかかりすぎて社会生活を営むのも辛い日々が始まる。
接客系のバイトをするとコミュ力が高まる、という意見も聞いたことがあるが、これは特定のアクションについての消費量が激減していると考えれば説明ができそうだ。
大人になってからでも成長可能な値もあるのだと思う。
一番成長させやすいのがアクション毎の消費量であり、条件付けをする事で消費量を減少させられるようにするまでは比較的楽になるとは経験談である。

つまるところ、居酒屋の客引きや商業施設のインフォメーションセンター相手なら人なりに会話ができるにも関わらず、中途半端な知り合いになると途端に話せなくなったり、ちょっと凹んだり弱ってる時なんかは本当に親しい人間以外との交流が苦痛でしかないのは私が回復量が低いのにも関わらず最大値がそこそこありと条件付けで消費量を減少させている事に由来するのではないか、と。

2015/01/24

色々あって

思う所あって記事一辺消してやり直そうかなぁ等と。

色々思いついたことに関して忘備録的に思考を垂れ流したりな方向で、文章を書くリハビリしていくつもりです。
チラシの裏にでも書いておけよって事でも人に見せる事を意識して書けば多少は文章力鍛えられるんじゃないかという思惑もあったりして。
頻繁に記事を書く方ではないですが、今まではTwitterなんかで垂れ流してた思考を一旦ストックして文字制限のないここで纏めて出力してみればまた違った事に気付けるのではなかろうか、と。